わが町にも歴史あり・知られざる大阪:大阪木材会館

1937(昭和12)年当時の、西長堀川の木材市場のにぎわい=島崎公一さん提供

市売り、消えゆく名残

 白髪橋交差点にほど近い大阪木材会館(大阪市西区新町3)の府木材連合会を訪ね、三宅英隆専務理事と、東洋木材新聞社の島崎公一社主に話を伺った。

 「川のある所に材木屋あり。保管や移動の便にいいからです」

 今はない西長堀川や立売(いたち)堀(ぼり)川で木材市が始まり、今も道頓堀川沿いに材木屋さんがある。「市を立てたから立売堀の名が付いたんです」と島崎さん。地名辞典などによると、大坂の陣のときに伊達氏の陣所となったことから、伊達を音のままに「いたち」と読んで「伊達堀」の字が当てられたが、のちに木材の立売(露天商)が行われるようになって、立売堀になったという。

1965(昭和40)年ごろの西長堀川=島崎公一さん提供

 島崎さんが、所蔵している写真を見せてくださった。戦前の西長堀川で大勢の人が集まって競り市が開かれている様子、1965(昭和40)年前後の西長堀川に木材が浮かんでいる光景など、往時のにぎわいがよみがえる。

 戦後、製材品の市場機能は阿波座の日生病院の場所に開かれた「大阪木材市場」の立売堀市場と、道頓堀川沿いの汐見橋にあった「大阪木材相互市場」の道頓堀市場に集約される。西長堀川は製材のための貯木に使われていた。が、71年に川が埋め立てられ、市場会社は移転。材木屋は住之江区平林に移った。

 島崎さんが語る。「木材を買うのは座というか特権でした。平成になるまで仕入れは市場。大阪が市売りの先進地。ところが加工品、小ロットが主となって市場が要らなくなった。市場会社はあっても市売りはもうありません。木材関係の会社は残っているが、不動産業になってます」

 「昭和30年代の西横堀川はよく覚えてます。川は汚くてメタンガスが噴き出して。がたろがどぶさらいしてました」。がたろとは、落語の「代書屋」に出てくる。履歴書を書いてもらいに代書屋(今の司法書士や行政書士にあたる)に来た男が「わての本職、がたろだんねん」と言う。「なんでんねん?」と問われて、胴まであるゴム長を履いて川へ入り、金網で川底をすくって「鉄骨の折れたやっちゃら、くぎの曲がったやつやら、靴の片っぽよってるやつおまっしゃろ」と答える。「それに船で生活してる人もようけいました」。この光景は宮本輝氏の小説「泥の河」に出てくる。

 その西横堀川東岸の横堀には高級材を扱う銘木市場があって問屋が建ち並んでいたが、西横堀川の埋め立てで65年に摂津市鳥飼に移転した。

 69年に建てられた木材会館だが、この9月に平林へ移転する。新しい会館はオール木造という。また一つ、木材市の名残がこの地から消える。

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島原藩蔵屋敷にあった稲荷神社=日本銀行大阪支店提供

 前回、江戸時代の諸藩の蔵屋敷にあった神社の話をした。「元の場所に鎮座しているのは土佐稲荷神社だけ」と書いたが、実はもう一つ、元の場所に鎮座している神社があった。日本銀行大阪支店の屋上にある稲荷神社だ。これは島原藩蔵屋敷にあったもので、1903(明治36)年に日銀大阪支店がこの場所に移転した際、お稲荷さんも大事に引き継いだ。82年に新館ができたとき、屋上に移された。水運と水害の守り神で、毎月、職員がお参りしているそうだ。なお、場所が場所だけに見学はできない。【松井宏員】(次回は28日に掲載予定です)